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大阪では、二千年を超える悠久の歴史の中でさまざまな文化が培われ、貴重な文化資産が数多く残されています。しかし、こうした文化財の劣化・変質への対応や、都市開発に伴う現状記録の必要性、さらには災害などによる消失への備えなど、文化資産を後世に残していくための取組みが求められています。 |
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「大阪府文化資産デジタルアーカイブ事業」では、文化資産を超高精細のデジタル画像データとして保存することにより、府民共有の貴重な文化資産を後世に残すとともに、国内外の研究者に向けた学術資料の公開、さらには大阪の文化についての理解を深める情報発信源となることを目指す取組みです。
また、超高精細画像を広く市場で二次利活用していただくことによる収入によって、さらなるデジタルアーカイブの促進を図ることとしています。 |
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「大阪」の地は、遠く1万年以上前から開け、紀元前1世紀には「古代都市」とでも言うべき弥生時代の大規模集落(池上曾根遺跡)が出現、5世紀の応神天皇や仁徳天皇の時代には大陸文化の窓口として栄え、7世紀半ばには日本最初の「都城」である難波長柄豊碕宮(前期難波宮)が築かれるなど、名実ともに日本の政治・文化の中心地となりました。 |
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その後、都は近隣の奈良や京都に移りましたが、文化・通商の玄関口として変わることなく繁栄を続け、16世紀には堺が中世のイタリアに見られるような自由都市として発展、豊臣秀吉の天下統一により再び日本の政治・文化・経済の中心地となりました。
徳川家康の江戸幕府により、政治の中心は江戸(東京)に移りますが、大阪は「天下の台所」として全国の経済や物流の拠点として重要な役割を果たすとともに、町民を中心とした「上方文化」が花開きます。さらに、懐徳堂や適塾といった官制の学問にとらわれない私塾による学問と相まって、進取の気風と旺盛な起業家精神が培われていきました。
明治維新を経て、大阪は工業都市として発展を遂げるとともに、日本を代表する商業の都として、今日に至るまで流通に貿易に大きな役割を果たしています。
大阪文化資産デジタルアーカイブは、こうした大阪の悠久の歴史と豊かな文化的蓄積の結晶である貴重な文化資産を後世に残すとともに、人・物・情報が交流する「世界都市・大阪」を内外に発信していくための取組みです。 |
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